北海道静内地方に伝わる、アイヌの酒「トノト」の作り方と儀式、酒つくりにまつわる意外な事実についてご紹介します。
アイヌの酒「トノト」の作り方と儀式
トノトは、祝祭には欠かせないものです。
祝祭以外にも、春と秋のカムイノミ(神々への祈り)やイチャルパ(祖霊祭)に、春になったら、秋になったらという理由をつけてトノトを作っていました。
材料
ピヤパ(ひえ米) 一升
カムタチ(こうじ) 3~5合
水
作り方
ひえ米、一升を一斗炊きの大きな鉄鍋で炊きます。
煮立ってきたら火を弱め、固めに炊きあげます。
炊き上がったひえ(ひえ飯)が人肌くらいに冷めたら、こうじを混ぜてシントコ(酒つくりの行器)に入れます。
10日くらいで甘いトノト(酒)ができます。
ひえのトノトはきつく、酒を絞った後のシラリに温湯を加えてさらに絞った汁でも相当きついと言われています。
トノトを仕込みながら行う儀式
トノトを作るときもカムイノミ(神々への祈り)を行いました。
具体的には、
まず、
炊いたひえとこうじを合わせる業が終わったら、フチアペ(火の女神)に向かって、次の言葉を言います。
火の神よ
今日の仕込みのために
お移しいたしますのを
どうぞ
おゆるしください
この言葉を言いながら、熱くなった真っ赤な燠を二つとって、仕込み終わったひえの上に乗せます。
燠が、じゅっと音を立てると、『それはまるで、火の女神たちの願いに応えてくれているような音』がしました。
更に次の言葉を述べます。
火の女神よ
あなたのお力で
このピヤパ(ひえ)が
よいお酒になりますように
どうぞ
お守りくださいませ
この祈り言葉を述べながら静かに燠を沈めて行きます。
その後、ふたをしめ、ケサカラシントコ(トノトの仕込みを入れた器)の周りをござで囲います。
ござは二重になるように巻き付け、その上から、下部をひもで縛ります。ひもは、できればタラ(組みひも)を使います。
そして、上部を縛る前に、魔ものが近づかぬように願いをこめて、仕込んだシントコの上に、刃物、例えばマキリ(小刀)、または山刀をのせておきます。
それから上方をすぼめてひもでくくります。
それをカムイプヤラ(神など)の近くのハッキソ(左座)に置き、さらに魔をよける意味で、鎌をのせておきます。
お葬式に使うときは、シソ(右座)の下座のほうに置きます。
その後はときおり静かにかき混ぜて発酵を促します。
こうして一週間から10日置いておきます。
発酵の途中、酒が細かく泡だっているようなら、ピリカトノト(よいお酒)になる証拠です。
その年の狩りの獲物や、海の幸、山の幸にも恵まれるといって喜びました。
酒が糊のようになっているようなら、美味しいお酒にはなりません、もう一度仕込み直したりもします。
もし、発酵が思うようにいかないときは、たいていは、気温が原因です。
例えば気温が低かったりするときは、シントコ(トノトを仕込んだ器)をカムイプヤラのところから炉端へそうっと移してきて温めます。
また、直径三寸くらいの石2,3個を炉の中で温めて発酵を促したりします。
まつりの前日には、酒こしをします。
まず、サケカラシントコ(トノトを仕込んでいる器)を包んであるござを解き、消し炭になってしまった燠を取り出して次のような感謝の言葉を述べます。
火の神よ
あなたのおかげで
このように立派な
お酒になりました
ありがとうございました
心からお礼の言葉を
申し上げます
その後、礼拝し、その消し炭を炉の中にお返しをします。
酒を濾す時は次のような儀式を行います。
女たちがシソ(本座)の脇(上手のほう)に並び、次のような歌をはじめます。
トノト ソロマ(酒がこの座にあるよ)
シラリ(酒粕を)
シコ カムパ(しっかりしぼれ)
手拍子しながら歌います。
酒濾しが終わると、イチャリ(ざる)が空になったよというような動作をしながら、「イチャリ、コテレケレ」(ざるを跳ねさせる)という歌を歌い、続いて次のような歌を歌います。
トノト メノコ(酒の女神よ)
シラリ カ(酒粕さえも)
イサム(なくなりました)
この歌は本当に感謝を込めて歌います。
トノトの原料になるピヤパ(ひえ)
ピヤパ(ひえ)は、アイヌにとっては最も古い作物であり、チサッスイェブ(雑穀類を炊いたごはんもの)、サヨ(雑穀類のおかゆ)およびトノトの原料として最も重要なものです。
アイヌの長老たちは言います。『昔の人々はひえばかり食べていたのでからだが強かったが、買ってものを食べるようになってからころころ人が死んでいくようになった』
ひえは糖尿病にもよいといわれ、また呪術的にも使われました。
トノト作りの時にできたひえ飯
ひえ飯を炊いたときに焦げ飯ができます。それを握ってもらって、そのとき薪をいっぱいとってきた人にたくさんあげました。
酒つくりのときはコタン(集落)の人々が多数集まって薪を用意したり水をくんできたりして手伝うことになっていました。
アイヌのお酒の原料
アイヌの酒の原料は、ひえ以外にも、あわ(ムンチロ)、きび(メンクル)などが使われています。阿寒では麦と馬鈴薯の酒もつくります。
麦と馬鈴薯の酒の分量は、大麦5合、中くらいの馬鈴薯10個、水が約二升、それに米こうじが約6合とぬるま湯が8合です。
アイヌと酒と神
アイヌは祭事があれば、必ず酒を捧げます。
「人間の最も好むものは酒であり、神々も又酒を喜ばれる」と信じられていました。
ひえ飯をトノトに換えるこうじは、カムタチと呼ばれているように、神の世界の人間の世界の仲立ちのような存在として考えられていたのかもしれません。
酒つくりは女たちの手によって行われ、あまり若い女性や生理中の女性は参加できませんでした。
この決まりは、長い間、固く守られてきました。
しかし、昭和の初め頃からは、厳しい決まりことも少しずつゆるんできたようです。それでも、酒作りの行事は女たちだけに伝承され、すべてまかされていたようでした。
参考文献「日本の食生活全集・アイヌ」